中国の最古の百科事典ともいえる「呂氏春秋」に、こういう話があります。


周の武王が殷(商)を討とうと時宜を計っていたときの話です。
武王が人を派遣して商の内情を探らせると、帰ってきた諜者は、
「商は乱れています。朝廷では良臣よりも、中傷や悪事を平気で行う悪臣のほうが多くなっています」
と報告しました。それを聞いた武王は、まだ攻めるには早い、といいました。
次に帰ってきた諜者は、
「乱れが酷くなりました。賢明な臣は商を見捨てて逃げ出しています」
と報告しましたが、武王はやはり、まだ攻めるには早い、と腰を上げませんでした。
最後に帰ってきた諜者は、乱れがさらに酷くなりました、といい、
「人々はもう、朝廷のことも王のことも謗りも恨みもしていません」
と報告しました。それを聞いた武王は嘆息し、太公望と図って、ついに商を討つ軍を発したといいます。
この話に宮城谷昌光氏は、――けっきょく国民が声を失い、ことばが死んだとき、国も死ぬということであろう、と感想を述べておられます。


……大丈夫か、SQ。